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高知県天然記念物 土佐錦魚 (とさきん)

須賀家文書とトサキン

 先日、須賀家文書「土佐錦魚元祖」の実物大コピーが届けられた。これは弘化2年(1845)ー嘉永4年(1851)の須賀家での金魚飼育の記録を図示したものであった。
 高知城下の”化政文化”の中に円行寺のサツキとともにトサキンが位置付けられるものではないかと考え、昭和49年に地方史研究の資料探索中に、初代土佐錦魚保存会長野中進氏の協力を得て見出したものだ。
拙著「土佐錦魚の四季」の中には一部収録済みのもので、当時高知市潮江新町1丁目の須賀カネ子さんが所蔵されていたと記憶している。
 トサキンはオナガドリや土佐闘犬と並んで土佐を代表するものの一つで、高知県天然記念物に指定されているが、環境の急変には対応しにくいため、手軽に持ち回って人に見せられるものでなく、又、その飼育に熟練を必要とすることから、なかなか普及が困難な美しい名魚とされてきた。しかし、保存会員の増加と努力により、最近は3年程度で子魚を取る人もあり、ひところに比べると、少しの注意で飼いこなせる人が多くなったように思われる。
 若葉の薫りに包まれながら、成長した親魚はもちろん、もう2センチを超す稚魚が遊泳しているのを眺めるのは、俗じんを忘れるひとときであるが、優秀魚をつくるために行うかわいい幼魚の選別も、忙中の閑というか、また楽しいものである。
 それにしても、現在飼育されているトサキンと、須賀家文書にえがかれた金魚とは全くちがっているのに驚かされる。
 戦前、絶滅寸前の危機にあったトサキンを復興、普及させ、先年亡くなった田村広衛項翁は、この絵を見て「これは名古屋地金のようだ」と言ったほどで、その言葉からしても、品種固定への困難な努力が、幕末の城下、南与力町の一隅でいかに長い間、行われていたのかを推測できよう。人によっては「非生産的な遊び」と笑うかもしれないが、須賀家文書には、それぞれの年の魚につけた『緋袴(ひばかま)・花野(はなの)・若葉(わかば)・唐錦(からにしき)・布引(ぬのびき)・関(せき)の戸(と)」など、多くの文学的な美称とともに、この名魚を生んだ人の心の美しさがにじんでいる。
 いつか、畏(い)友、高知女子大の谷岡久氏から『無価値の価値」という言葉を聞いたことがある。それは俗世間的な富や栄誉のみを求めがちな心の動きとはちがって、そのようなものに直結しない価値をひたすら追及してゆこうとする心構えを強調したものであろうが、このような価値を生み出してゆく努力は尊いものである。
 先祖代々が続けてきたトサキンの品種固定を明治になって完成させた須賀亀太郎翁は、昭和12年5月21日、八十二歳で死去しているが、5月21日はトサキン愛好者にとっては、亀太郎忌として記念すべき日であり、飼育者各自がその心を心として、この名魚の保存に取り組んでいかなければならないと思う。トサキンが高く売れるかどうかはまた別の問題である。